軽トラ和尚の旅日記

軽トラの荷台に坐禅堂を積んで走る禅僧の修行

軽トラ和尚の旅日記

涙もろくていけねぇ、耄碌したのかなぁ。

最近やたらと涙もろくなってきた。

すっかり耄碌じいさんになっちまったか?

これを「涙もうろく」と呼ぶ。

 

そんなダジャレをこいてる場合じゃない。

今晩も奈良の方にお住まいの方と話していた。

 

「観音堂、いつ出来るの?」

 

やっとジャングルの伐採と草刈りが終わって

その枝やら草やらを処分しようという段階だっちゅうに

基礎工事にも着手してないのに

ちと待ってくれんかいっちゅう話です。

 

「いっしょに住もうや」と言うたもんですから

その口は嘘に出来んので

その段取りでこちとら必死こいていますが

必死のパッチで汗ダクダクになっておりますが

 

そんな直ぐには完成しませんから。

なにしろセルフビルドで寄付金だけで建てる段取りですから

いちおう10月には上棟式を予定していますが、

予定は未定でしばしば変更あり?かもしれませんから

何としてでも棟だけは上げたいと思っていますから

 

ちょっと待ってね。

 

でも

嬉しかった。

 

ぐっと来るよね。

みんな、和尚のこと「好きだよ」って

 

泣かせてくれるじゃないか。

ありがてーじゃないか。

 

こんな俺にも不安なフアンがいてくれる。

不安そうに

心配そうに

大丈夫?って声かけてきてくれる。

 

まえの寺の総代長さんなんか

毎日、LINEで大量のスタンプを送ってくださる。

 

ありがたいねぇ。

有り難しって書くんだよね。

有り難いって。

 

またグッと胸にこみ上げるもんがある。

チキショウ。

ありがてー。

 

待ってろよ。

昔の子供ら。

 

 

 

NHKのど自慢で、おばちゃんの歌に泣いてしまった。

なぜか泣けてしまった。

 

特段にうまいわけではなかったが見事合格された。

 

足柄山の金太郎で有名な南足柄市が舞台の今日のNHKのど自慢。

 

最後の方で、美空ひばりの「みだれ髪」。

 

星野哲郎さんの作詞もいいが、

この歌は何と言っても曲。

船村徹さんは天才だね。

 

なんで涙腺が緩んだのか?

自分でもわからない。

歳のせいか?

はたまた疲れか?

 

なにしろ泣けてきた。

ふつう「おばちゃん」や「おっちゃん」が合格するのは稀だ。

とにかく泣けた。

 

理由が不明なため

YouTubeで「みだれ髪」を検索。

大御所ひばりさんはもちろん凄いんだが、

藤圭子(宇多田ヒカルの母)さんの動画をみて……。

 

理由がわかった。

潜在意識に残っていた。

在りし日のショックが。

 

この曲が偶然かかっていた。

あのとき、あの場所で

あんな風に、何気に別れて。

そうとしか思えない。

いや、そうに違いない。

 

やだねー、未練だねー。

 

 

観音さまの正体とは?

観音信仰というのが

日本でも千年以上前からありまして

西国三十三ヶ所観音霊場巡拝など

現在でもお参りする人々が絶えません。

 

その御利益(ごりやく)というのがスーパーで

何でも来い、なのであります。

 

病気平癒。

家内安全。

家庭円満。

商売繁盛。

念願成就。

交通安全。

災障消除。

息災延命。

諸縁吉祥。

萬事如意。

上げだしたらキリがないほどの現世利益。

 

これで済まないのです。

極楽往生。

冥利冥福。

死んでからも幸福が続くというのです。

 

これは信仰するっきゃないということで

過去の人々はこぞって信仰しました。

否、現在も理屈抜きでお参りしております。

 

たとえば浅草の観音さん。

大須観音、津観音いわゆる三大観音。

 

世界でも飛び抜けていて

チベット仏教のダライ・ラマ法王は

観音菩薩の生まれ変りと信じられています。

 

信じようが信じまいが信じられているという事実。

この事実に注目なのです。

そんじょそこらの新興宗教など目じゃないのです。

やたらと人気のある仏菩薩なのです。

 

何故か?

 

それをいくらウィキペディアで「観音菩薩」と検索し

数多あるサイトで検索して調べようが

日本中のお寺に聞きに回ったとしても

答えは見つかりません。

 

なぜか?

 

「幽霊の正体みたり枯すすき」

自分の正体もわからないものが、

観音様の正体を見れるはずもなく

わかるはずもありません、が、

 

「観れば自に在る菩薩かな」

観音様は観世音菩薩とも観自在菩薩とも呼ばれます。

呼んでも誰も助けに来てくれないときに

観音様の御名を唱えれば立ち所に

状況が一変するというのです。

 

見えるまま、聞こえるまま、あるがままを

人は見ていませんし、聞いていません。

偏った見解、こだわった考え、とらわれた思いで見ています。

 

ところが、

まっすぐに、

こだわらずに、

何にもとらわれないで

あるがままに観た瞬間に、

(これが観音様の正体なのですが)

状況がいっぺんに変わります。

 

これが信心であります。

自分のこころを信じることです。

 

信じられないなら

何も信じられないなら

信じないということに

こだわっている証拠。

 

小さな子どもが

「かんのんさま」と言えないで

「ののさま」といいながら

モミジのような手を合せています。

 

なあ~んにも考えていません。

そういうまっさらな気持ち。

これが観音様。

あらゆる姿でこの世に現れるといいます。

あらゆる機会に

あらゆる場面で

あらゆる状況で

無心になること。

 

それは

あるがままをみること。

ありのままにみること。

 

余分なところが何もないこと。

余計なことを決して考えないこと。

 

観音の

正体観たり

慈しみ。

 

大慈観音堂。

 

www.itukusimi.com

待たされて食べるカツカレーの味

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先週の日曜日のお昼は

近くのマキノ高原サラサ温泉で

カツカレーを注文したのだが

キャンプなどの家族連れで大賑わいで、、、


都合三十分も待つことになった。


こういう待つ体験は

久しぶりで

実は

何となく嬉しかった。


子供が小さいうちは

親は子供に連れられて

どこへでも連れて行ってもらえる。


子供が中学生になると途端に

父親は何処へも連れて行ってもらえない。

そういう寂しさを味わうのだ。


あれから二十年。


私にとって旅は憧れになった。


だが、一人旅を続けてきて

ここにきて

この歳になって

一人に慣れてきて


やっと気づいたことは

あの日々はもう二度と帰ってこない、

大切な幸せの日々であったことだ。


何を今更と

若い人々は思うだろう。

私もそうだった。

みんな一緒じゃないかと


でも本当は違った。


諸縁吉祥(しょえんきちじょう)。

それぞれに、

それぞれの幸せがある。


見渡す限りの大勢の家族連れの

それぞれに

それぞれの幸せがありますように。


幸せを

幸せと気づく幸せ。



今日は、今は亡き宗福寺の先住和尚様の

三回忌が営まれた。

ご遺族と再会して

和尚さんの話で盛り上がった。


私と同い年の和尚さんであった。


人に優しく自分に厳しい

信念の人であられた。


私と真逆で

家族をとても大事にされていた。


諸縁吉祥。

電柱が立っているからって?

敷地の入り口の道路際に電柱が立っている。

電気は直ぐに引けるものと思っていた。


ところがどっこい

確かに高圧線と電話の線はあるが

低圧の電灯線がない。


電気工事店のベテラン社長に見てもらった。

いわく、仮設電気の引き込みには

地上5メートルの電柱が必要だ。

本設には申請してから三ヶ月はかかる、とのこと。


近くの電柱には低圧の三本線が来ている。

そこから別荘に電灯線が引き込まれている。


地上5メートルの仮設電柱を立てるには

地下埋設分を含めて6メートルの電柱がいるらしい。

引込み線が隣地の地上を通る場合は

その隣地地主の承諾が必要だとか。


結局、メインツリーの

クルミの木の枝を切って

それに5メートルの電柱を結びつけて

そこから仮設電気の分電盤を付けるという段取りになった。


どうも話がややこしい。

造成当時から四十年近くも経った別荘地。

こんな問題は折り込み済みであったが

いざとなると

お金と手間がかかるばかりだ。


そもそも論だが

誰も家など建てようと考えない場所に

だからこそ値打ちがあるのだが、

やり甲斐も、生きがいも

そこには生じるのだが、


いざとなると

大変である。


いざ、やり出してみると

面倒である。


ただ、楽しみが

夢が

友が

私を支えてくれている。


有り難い。


まさに、有り難し。

まさに、憂いなし。


大慈観音堂の設計図が出来た

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平面図兼配置図と立面図ができました。

これをもとに壁量計算と言って

床面積つまり平面的な大きさに見合う

壁の長さがあるかどうか?

また、見付け面積つまり立面的な広さに応じた壁の長さを検討します。


平面というのは、建物全体の重さが地震によって縦や横に揺れることから、規模に応じた耐力壁の長さが確保されているか確認するモノサシになるわけです。


立面というのは、建物が横から風を受けた時に倒れたり歪んだりしないかどうかのモノサシになります。


こういった構造的な検討は、建築基準法などの法令で決められていますから、定型の式に当てはめればすぐに判別できます。


しかしもっと重要なことは、弱い部分が無いかということです。バランスが最も重要なポイントです。マクロにもミクロにも総合的に検討して、見た目よりも丈夫さ、安定さ、排水、通気、換気、断熱、耐朽性などなど、考慮すべきところは沢山あります。


基本的な設計ができたからといって、これで終わりではありません。来月からいよいよ基礎工事に着手するのですが、工事の完成まで設計は続きます。否、工事完成後にはじめて設計の良し悪しが問われます。


今回は割とオーソドックスな枠組壁工法を採用しました。三間ぶっ放しの空間を木造で作るためにはトラスは欠かせません。これは意外と大変そうですが、セルフビルドにはピッタリかなと思います。


間取りはこれ以上ないほど簡略化しました。


何しろこの小規模な建物を細かく区切ることはないでしょう。


さしずめワンルームテンプルですね。


大間(だいま)一間の観音堂。


大事な大事な


大慈観音堂。


敷地の草刈り出来ました

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 昨日は朝から理事長さんと二人で現場の草刈りを行いました。

理事長の大活躍で、私のナイロン刃の草刈り機などは、ほとんどままごとでした。

一枚刃の草刈り機の威力とチェーンソーの底力に舌をまきました。

 

うへ~。。。

 

結果はごらんのとおり。

鬱蒼として、ほとんとジャングルと化していた地面は

クルミの木を一本残して他はほとんど切り倒しました。

観音堂の敷地は、いかにもそれらしく

後背地の杉林を背景に、山水が横に流れる水路を横目に

クルミの木をメインツリーに

今流行の田舎暮らしそのままに

静かで爽やかな高原の佇まいをみせております。

 

真ん中に残った伐採した草木の処分が当面の課題です。

その後に、地鎮式を経て、基礎工事に着手いたします。

周囲の土地は荒れ放題ですから

そのギャップでよく見えるかもしれません。

なにしろクルミの木陰で涼しく休憩できました。

 

近くには一キロあまりでマキノ高原のキャンプ場や温泉があります。

冬には家族連れのスキー客で賑わうここは、

プレ夏休みでしょうか、子供連れのお客さんが多かったです。

またメタセコイヤの並木も人気の的。

結構いいところなんですよ。

 

昨日は朝の坐禅会から始まって、ジャングルの伐採除草、

そして夜は本寺幸松寺の役員会でした。

大慈観音堂のPRもちゃっかりさせて頂きました。

電気と水道はあるの?

えー、電柱があります。山水も、捻れば出る水道もあります。

 

明日、工事用仮設電気の引き込みを申し込みます。

電気が無ければ、ほとんど無理です。

山の麓とはいえ、ここは元々別荘地で開発されたところです。

市街地はおろか集落からも離れ、

誰も気づかない、「基地」のようなものです。

 

昔の少年は、すっかり昔に戻ってはしゃいでおります。

 

しかし、身体は昔には戻れませんでした。

今日一日は身体に疲れが残っておりました。

でも夕方には、あるご相談のおかげで

元気回復。

 

わたしはやはり人と話しているとパワーが出ます。

いつかこの観音堂で「お話」できる日を

夢見ています。

 

少年の午後、プレ夏休み。

 

 

大慈の根っこにあるのは大怒

小さな怒りは、そのほとんどが我儘だ。

そんなものには眼をくれている暇はない。

残された人生、限りある命を、時間を

そんなくだらない怒りで失うことはない。

 

だが、忘れてならない「怒り」というものがある。

もうお忘れであろうか?

東北の大震災と津波そして原発事故。

 

心配ない、心配ない、絶対に大丈夫。

津波なんかせいぜい50センチまで

心配ないったら、私が保証しますと宣った先生方。

想定外のことが起る確率は限りなく小さい。

 

皆んな信用してしまった。

 

北朝鮮と合衆国が戦争?

そんなことはあり得ない、絶対にありません。

心配ない、心配ない、絶対に大丈夫。

どうせ脅しだから、ミサイルなんて実際に飛ばせないから

心配ないったら、私が保証しますと話している先生方。

想定外は想定外ですから想定していません、と。

 

いつも悲しい目に合うのは弱い人々だ。

東京だって大阪だって原発立地県だって

先生方に言わせれば

絶対に大丈夫だという。

 

これに対して、何も、誰も言わなくなった。

何か事が起きてから、これからは十分対策を行って

人智を結集して、世界最高の厳しい基準で・・・

 

世界を舐めているとしかいいようがない。

自然を馬鹿にしているとしか思えない。

 

日本海に津波が来ないと思っている人々

原発銀座といわれている若狭湾にも

大津波の痕跡は至る所にある。

火山活動や地震、活断層ばかりじゃないか

この日本はどこでも。

 

琵琶湖も大きな活断層の動いた証拠である。

今は静かな湖面も

いつ、その巨大な爪を現すか誰もわからない。

わからないからといって

災害は逃げてくれない。

 

雨だって、昔の夕立ちの程度じゃなくなっている。

集中豪雨などは日常茶飯事になる。

台風も半端じゃないのがやってくる。

竜巻も頻発する。

 

凶悪なテロが実際に起る。

これはもう予言なんかじゃない。

確実な情報である。

 

平和にすっかり慣れて

ぼけーっとして

へ~みたいな人々が

逃げ惑う姿が見える。

 

大きな怒りをしっかり抱きしめよう。

今こそ、目を覚まそう。

大慈の前に大怒を

 

それが実感としてある。

何をしなければならないか?

 

まずは原発の即時停止。

テロ対策。

防災対策。

もう待ったなしの課題ばかり。

 

いいかげんに目を覚ましたらどうだろう。

大きく憂いている。

 

政府よ、蝿のような反対などものともせず

為すべきことを為せ。

一介のくそ坊主でさえ

国を憂いている。

人々の将来を憂いている。

 

 

わかっとらんなあ、国も世間もアホばっか。

えー、今日は朝から境内の草むしり。

雨上がりの草は、とっても引き抜きやすい。

こうして草引きをしとると

世間の馬鹿さ加減がよーわかります。

世間では坊さん今日も草むしりかいなと

アホにしとるかもしれませんが、

 

アホはどっちジャイ

と、このジジイ和尚、少々照れながらも

字を大きくする術(すべ)を覚えて

やおら顔を上げて笑い転げました。

 

あんたやったんかいな。

 

きょうは若い別嬪さんが寺に見えました。

つごう、30分も会話を楽しんでしまいました。

え?昔のお嬢さん?、、ちゃあう、ちゃあう。

ほんまもんの若い別嬪さんや。

 

このブログでの登場人物は

たいていジジイかババアなので

このテラジ(寺のジジイの略)も顔の筋肉くんが

すっかり緩んで饒舌になった次第。

 

んで、何を話したかというと

それは内緒。

そんなもんこのブログで書けるかいな。

秘め事やで姫事。

 

煩悩の塊のような話で恐縮ですが

そのビジネスウーマンの会社の人が

うちの坐禅会に来てくれとったわけで

転勤されたのですが、

そんなこんなで話が盛り上がり

 

えー、すいませんでした。

タイトルから記事内容が大幅に逸れてしもたがな。

すんまへん。

 

何に腹を立てておるかと言うと

北朝鮮が大陸間弾道ミサイルの実験に成功したんやで。

知っとるけ?

 

アメリカが標的になったっちゅうことは

北がアメリカと対等になったわけで

日本なんか目じゃないという状況になったっちゅうこと。

 

これがどれぐらい大事なことか

野党はもちろん政府も全然わかっとらん。

まだ、あほみたいにモリやカケやいうて蕎麦の話ばっか。

アホとしか、言えんやろこんなもん。

国会の閉会中審議するんやったら

こんな重要な問題を話し合わんでどうすんのよ。

 

世間も世間でワイドショー人間ばっか。

偏向報道っちゅうのに気づかんのかいな。

ほんま情けない。

草むしりのオッサンが嘆いとるのは

ミサイルだけじゃないで

 

大事なことと、

イカの金玉のような些細なことと

いっしょにするなよといいたいわけで

 

ほんま、腐った業界

腐った仲間内

腐った世間。

 

もう見とられん。

危なっかしくて

アホすぎて。

 

 

旧盆に向けて水向塔婆300本清書中の本音

 お盆(旧盆)が近づくと、お坊さんは大変です。

わたしのような暇なお坊さんでも仕事は一気に増えます。

日常の細々としたことはもちろんクリアーしたうえで

お盆の準備に大わらわ(大笑い?)なのです。

 

 笑っている場合ではありませんが

うちの寺の場合は、檀家さん一軒当りに一枚

水向塔婆という卒塔婆を書きます。

お釈迦様の尊称(梵語)を書いて

それから「為先祖代々諸精霊水向塔」と

一本一本筆で書くのです。

 

 印刷しているところもあるのですが

うちの場合はそんなバチ当たりなことはしません。

一本ずつ心を込めて書くから、下手でもいいのです。

下手であろうが何であろうが、功徳っちゅうもんは

人のまこと、感謝の心にしか生じないのであります。

 

 と、ここまでは、当たり障りのないことを書き連ねてきましたが

たまには、ミサイルぶっ放しておきます。

本音のブログやからね。

言いたい放題なわけで、もう、失うのは命ぐらいのもんですから

 

一発吼えさせていただきまーす。

 

 だいたい、日本の寺院が何をしとるのかというと

先人たちの積み上げてきた仏教の道場を

先祖供養とか何とか適当に理由をつけたり

観光寺院として拝観料目当てに適当に理由をつけて

本来の仏法であるところの

人々の救済なんか目もくれず

ビジネスで仏教を食い物にしとるわけです。

 

ええですか?

 

文句があったら勝負しましょう。

ケンカなんかアホらしくてしませんが、

行動で勝負します。

鍵のかかっている寺院が圧倒的に多いんですよ。

こちとら、小さなバラックみたいなものでも

大慈観音堂と銘打って

新寺を、この時代やからこそ建立して、

そこに常駐して

小さな悩みから

大きな悩みまで真剣に聞いて

聞いて、聞きまくって

いっしょに解決策を考えようとしとるんです。

 

 金の悩みぐらいで、死んでほしくない。

いっしょに泣いて、いっしょに悲しんで

いっしょに考えて、いっしょに悩む。

 

 そういう行動を起こしていこうと

そういう運動をやっていこうと

大いなる慈しみ。

かんたんに言えば、

どでかい優しさっちゅうことです。

 

文句があるなら、かかってこい。

受けて立とうじゃないか。

 

一人で悩んでなんかいないで

相談してほしい。

 

これが水を向けるということ。

水を手向(たむ)けるということです。

 

 

 

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